海外の教会のステンドグラスをいろいろ見てるうちに、あることが気になりました。 「なんだか描かれている人物の表情が乏しい気がする、、、というか無表情なものばかりだなぁ」と。なんかみんな怖いんです。ただ色白なだけじゃなく、感情がなく生気もないように感じられるのです。 同様に彫刻などを見ても無表情なものばかりでした。 なぜでしょうか?
ステンドグラス自体はそれ以前から存在していましたが、教会に使われ始めたのはいわゆるゴシック時代(12世紀中頃〜15世紀)と言われています。一般的に日本人の建物としての教会のイメージはこのゴシック時代の大聖堂に近いと思われます。荘厳なステンドグラスやとても高い先頭アーチなどは、その特徴の一部です。
ではなぜこの時代にステンドグラスが使われるようになったのでしょうか?
そもそもキリスト教が古代ローマ帝国の国教となって以来、教義上偶像崇拝が禁止されていました。そのため布教のためには、識字率の低さもあり、教会での聖職者たちの話に加えて絵画を通してキリスト教にまつわる出来事や教えを伝えてきました。そしてその場所は壁画などから教会の壁面へと移っていきました。
そんな中、12世紀ごろフランスの聖職者シェジェールは教会内をそれまでのロマネスク様式の暗い空間ではなく、光があふれる空間にしたいと考えました。ちなみにキリスト教において光は神を表します。(フランスのサン・ドニ大聖堂にはそんなシェジェールが描かれたステンドグラスがあります。)
ちょうどその頃、ポインテッドアーチとフライングバットレスという教会建築技術の発展により、ロマネスク様式の聖堂よりも薄い壁体に大きな窓を設けることが可能になりました。その窓に絵画に代わって布教の役を負ったステンドグラスが取り入れられるようになり、神そのものである光に満ちた空間が教会内に出現しました。
こうしてステンドグラスの荘厳さも加味された「石の聖書」とも言われるゴシック様式の教会や大聖堂により、キリスト教の教えがさらに一般民衆にも広まるようになっていきました。
しかしそんな時代のステンドグラスはどれも無表情なものでした。というかステンドグラスどころか一般的な絵画や彫刻にも感情が表現されることはなかったのです。 というのも、西洋ではあらゆる美術がキリスト教を中心に作成されており、技術的なことももちろんありましたが、宗教的に表現方法として制限されていた部分、タブーとなっていた部分が多々ありました。
そんなビザンティン様式が中心だった13世紀、ジョットが現れ、絵画に人間的感情や現実味を加味した表現方法を与えて、西洋絵画の新しい時代を切り拓きました。
その後マザッチョ、ダヴィンチ、ラファエロらを経て、ルネサンス以降は宗教的に制限された表現から解放され、本格的に感情や人間性が加えられるようになっていきました。
がしかし、その後も教会のステンドグラスは笑うことはありませんでした。結局今でも写実的で人間味あふれるステンドグラスというものが教会にはありません。その当時でステンドグラスでの表現方法の発展は止まってしまったようです。識字率も上がり、布教のためにわざわざステンドグラスで表現する必要がなくなったということもあるのでしょう。 現在では教会で使われるステンドグラスも、あくまで神としての光を教会内に取り入れるため、幾何学的なデザインやシンプルな窓になっているところが多いようです。
では世の中には笑っているステンドグラスはないのでしょうか?
いろいろ探してみましたが、残念ながら笑顔あふれるステンドグラスは見つけることができませんでした。
しかし、笑顔あふれる「ステンドグラス風」デザインのモノなら見つけました! それは夢の国、ディズニーランドのグッズです。 ミッキーやアリスはもちろん、エルサやダンボにライトニング・マックィーンまで笑顔です。 ジグソーパズルやタオルやお財布などへのデザインですが、ぜひ一度ご覧ください。 まさに宗教や国境、そして時代をも超えた「ステンドグラス風」がここにあります!
[参考文献]
「世界の教会」 五十嵐太郎解説 瀧亮子編集 パイインターナショナル
「これならわかるアートの歴史」 ジョン・ファーマン著 野村幸弘・熊谷吉治訳 東京書籍
「ビジュアル図解 聖書と名画」 中村明子著 西東社
「図説・ゼロからわかる西洋絵画入門」 岡部昌幸監修 実務教育出版
「図説 名画の誕生 ルネサンス絵画入門」 仲川与志・西永裕著 秀和システム
「知識ゼロからのキリスト教絵画入門」 池上英洋著 幻冬舎
「イタリア古寺巡礼 フィレンツェ→アッシジ」 金沢百枝・小澤実著 新潮社
「図説 キリスト教会建築の歴史」 中島智章著 河出書房新書